なぎたその音楽と戯言

音を楽しむ、言で戯れる

繊細な歌超え

 

 最近、女性ボーカルの歌を聴くことが多くなった。昔は、女性の高い声が苦手だったが、聴き方や考え方が変わったのか聴くのが大好きになった。

 具体的にアーティスト名を出すと、ヨルシカや美波、ずっと真夜中でいいのに。といった繊細な歌声を持つ女性ボーカリストを頻繁に聴いている。

 

 聴いていて思う事がある。繊細な「声」の奥に潜む力強い「声」があることだ。この3つのアーティストに共通している気がする。サビやCメロなどに多く、聴いている私達自身に訴えかけているような、そのような表現を多くしている。

 第三者目線ではなく、直接私達に訴えかけているから気持ちが揺らいでしまう。見透かされているかにも見えて、どこか恐くそして安心する。気持ちが分かってくれるような気がして。

 

 女性がしゃくり上げる、ドスの効いた歌声を聴くと鳥肌が立ってしまう。ギャップはずるい、萌えてしまう。普段は清楚で、たまにチラ見せ。というのは冗談で、痺れてしまう。もっと聴いていたい、いい意味で裏切られたいと感じてしまう。

 「しまう」を連呼してしまったが、そのような表現方法や歌い方が好きなんだろう。単調に歌うよりかは断然そのほうが、1曲の中で感情が揺さぶられる。ハラハラドキドキさせられる、1曲の中で様々な感情が伝わる。それが心地良いのだ。

 

 音楽はその時によって違うから、CDの音楽とLiveの音楽ではまた別物になる。Liveの時の歌い方が今度は気になる。CD音源でも直接訴えかけられるのに、Liveだと目の前だ。そして、普段の声ではない生の歌声。気持ちが直接心に伝わるであろう。

 

 今も有名なアーティスト達だが、メディア出演はまだ多くはない。邦楽ロックを聴かない世代や、ネットにいない一般人の認知は皆無に等しいだろう。ネットからラジオ、そしてテレビへと有名になるのも時間の問題かもしれない。テレビで聴く歌声は、また別物だろうな。

  有名になって欲しいが、有名になって欲しくない。あいみょんのようにみんなのものへとなってしまう。悲しいが喜ばしいことだ。みんなが感動する歌声なのだから。繊細な歌声を超える歌声をいつまでも聴いていたいものだ。